偉人
小原 樗山
”大正の名宮大工”
文久二年(1862)1月10日小山田外谷地に生まれる。明治時代花巻の宮大工二代目高橋寛治郎に入門、建築、彫刻を習う。菊池黙堂から南画を習う。
青森県三本木正法寺を建て、その他神社寺院を手がける。大正元年(1912)遠野市福泉寺を建てる。県内外の神社、寺院を数多く手がける。(矢沢胡四王神社)多くの弟子を育てる。
昭和2年5月14日、65歳で死去、外谷地に葬られる。
昭和3年(1926)功績をたたえる碑が建立される。
平成15年(2003)外谷地にあずまや、公園整備される。
一ノ倉 貫一
”教育者・政治家”
安政3年生まれ。教育者・政治家。小山田小学校初代教師・明治35年衆議院議員に当選、2期在職・大正2年岩手軽便鉄道取締役
菊池 忠太郎
”教育者・政治家”
慶応3年(1867年)生まれ。成績優秀だった忠太郎は、僅か12歳で土沢小学校の代行職員となる。慶応大学卒業後、花巻に戻り、「河北堂書店」開業。政治にも強い関心を持っており、和賀郡選出県議会議員・稗貫郡選出県会議員となる。
菊池 徳四郎
”軍人”
明治4年生まれ。明治24年20歳で歩兵第17連隊に入隊。日清戦争や日露戦争に従軍。日露戦争では、最も激戦地であった「203高地」で乃木大将の従卒として役務にあたった。
小田島 孤舟 (理平治)
”俳人・書家”
明治17年生まれ。19歳で「小国民」懸賞小説に二等当選。同年4月、岩手師範学校本科に入学。同校文芸同人誌「花摺草」に短歌、俳句、美文「わが罪」を発表。
吉田 助治
”童話作家”
明治28年生まれ。「童話の日本史美しい国」で童話作家としてスタート。主な著者には「徳川300年」「動物の国」「春日局と乳人政岡」「八犬伝」「弓張月」など大小30冊に及ぶ。
伊藤 九万一
”実業家”
明治23年生まれ。京都帝国大学独法学科を卒業し、八幡製鉄の重役となり経済界で活躍された。美術愛好家でもあり、分晁、犬雅、鉄斎をはじめ590点もの古画を残している。
伊藤 敦子
”オペラ歌手”
“世界のプリマドンナ” 明治35年(1902年)1月15日生まれ。小山田尋常小学校卒業後、盛岡高等女学校(現盛岡二高)で才能が認められ、音楽の道へ進む事を決意する。プリマドンナとして「蝶々婦人」をヨーロッパ各地で600回以上公演した。
小原 一
”医学博士”
医者として村で診療を続けること。中央で最新の医学を学び続けたいという狭間で悩み、苦しみながら郷土の健康管理、地域医療に一身を捧げた。
菅原 清康
”農学博士”
大正6年生まれ。岩手県師範学校男子部助教授、東京大学助手、新潟大学助教授を経て、新潟大学教授となる。日本雑草学会学会賞受賞。
宮川 富治郎
”大工”
明治13年生まれ。花巻市内の各小学校、小山田中学校、小山田村役場、小山田農協などを設計。特に神社の鳥居など、柱の踏ん張りの角度、笠木の反りの具合など独特の名技を買われた。
菅原 盛一郎
”農林技官”
明治39年生まれ。台湾国高雄州で農林技官として活躍。その後、小山田村議/東和町議会議員を就任。東北一の規模の有線放送電話の設置を完成させ、情報時代の先端を開いた。
菅原 東郷
”農林技官”
明治38年生まれ。大東亜戦争には獣医官として従事した。
農業に従事しながら獣医師をして地域の畜産振興に大いに貢献した。
小原 源三
明治33年生まれ。農業や父の元で修行後、村役場に入り、助役を歴任。
東和有線放送協会の総務部長や小山田保育所長などを歴任。小山田小学校校歌の作詞も手がけた。